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水の美学


黒い大理石のバスタブに
白い手足が揺れる。
四角い白いその空間に、白い光が優しく、しかし鮮烈に差し込む。
窓を少し開けると、ひんやり、と朝独特の空気が頬を撫でる。
眼下には揺蕩う海。天から光を受け
、やわらかくきらめいている。
ここ、サンクチュアリは切り立った森の上にあるのだ。

頭上には淡い濃淡を描いて、ついぞ空が白み始めるところであった。

すでに手前の空は白っぽく、そこからゆるやかに
黄橙金黄朱、赤薄紫蒼紺。
奥の空にはまだ星がまばたいていて
私は少し錯覚を起こした。
白がだんだんと空を浸食していく。
驚くべき早さで。
私はこの景色が失われることが恐ろしいと、本能的に感じた。

息を潜めて、すでに冷え切った、
黒とも透明ともつかぬ水のなかに逃げ込む。

ちゃぷん

魚になったように。
やがて水の中でゆっくり瞼をあけると、そこには白い手足が揺れていた。
行き場をなくした酸素が、まあるい弧をつくって、立ち上っていく。
私の長い黒い髪は漆黒の大理石に紛れ、時に光に包まれ発光したようにたゆたう。
白っぽい光は相変わらず水の中に差し込んできていて、そこに光の輪が影を落として浮かんでは消えていく。

私は上を向く。
揺れる透明の先に、先ほどの空がある。
まばたきをしても、やはり変わってはいない。
安堵で胸がいっぱいになる。

あの彩りを捕まえてみたい。

思わず私は空に手を伸ばす。
無数の小さな泡が、私の目の先を通り過ぎ、透明な水玉が跳ねる。
雫が落ちて、水面にまた、ちいさな輪ができる。

しかし、私の手は空に届かず、宙をさ迷った。
指の間をつんとした風がすり抜ける。
嗚呼。
私は再び瞼を降ろす。
先ほどの光景を思い出す。
水面下からみた、透明ななかの彩り。
切り取られたプラネタリウム

私はうっとりしながら、ほほえむ。
身体が沈んでゆく。

嗚呼、そろそろ、魚になるのだ。
かつて、沼に沈んでみたいと言った少年のように。
しろく、しなやかな魚になって、
此処に戻ってくるのだ。

水蜜桃の薫る、白んだ夜に。