水の美学


うっすらと金黄色(きんいろ)のあたたかなともしびが揺れる。
真夜中、私は本を読む。
長野まゆみの、
夜鳴く鳥は夢を見る
この本を読んで、気付かされたことがある。
私のこの形容しがたい懐かしいような、
悲しいような、しかしどこかきらきらしている感情を膨らませるひとつに
水、
という存在があった。
どうしようもなく、私は水に惹かれるのだ。
静かにたゆたう透明な水。
静謐で、どこまでも碧い水。
漆黒の夜の海のような水。
此処からは、少しだけ、
私の話になる。

水の美学


黒い大理石のバスタブに
白い手足が揺れる。
四角い白いその空間に、白い光が優しく、しかし鮮烈に差し込む。
窓を少し開けると、ひんやり、と朝独特の空気が頬を撫でる。
眼下には揺蕩う海。天から光を受け
、やわらかくきらめいている。
ここ、サンクチュアリは切り立った森の上にあるのだ。

頭上には淡い濃淡を描いて、ついぞ空が白み始めるところであった。

すでに手前の空は白っぽく、そこからゆるやかに
黄橙金黄朱、赤薄紫蒼紺。
奥の空にはまだ星がまばたいていて
私は少し錯覚を起こした。
白がだんだんと空を浸食していく。
驚くべき早さで。
私はこの景色が失われることが恐ろしいと、本能的に感じた。

息を潜めて、すでに冷え切った、
黒とも透明ともつかぬ水のなかに逃げ込む。

ちゃぷん

魚になったように。
やがて水の中でゆっくり瞼をあけると、そこには白い手足が揺れていた。
行き場をなくした酸素が、まあるい弧をつくって、立ち上っていく。
私の長い黒い髪は漆黒の大理石に紛れ、時に光に包まれ発光したようにたゆたう。
白っぽい光は相変わらず水の中に差し込んできていて、そこに光の輪が影を落として浮かんでは消えていく。

私は上を向く。
揺れる透明の先に、先ほどの空がある。
まばたきをしても、やはり変わってはいない。
安堵で胸がいっぱいになる。

あの彩りを捕まえてみたい。

思わず私は空に手を伸ばす。
無数の小さな泡が、私の目の先を通り過ぎ、透明な水玉が跳ねる。
雫が落ちて、水面にまた、ちいさな輪ができる。

しかし、私の手は空に届かず、宙をさ迷った。
指の間をつんとした風がすり抜ける。
嗚呼。
私は再び瞼を降ろす。
先ほどの光景を思い出す。
水面下からみた、透明ななかの彩り。
切り取られたプラネタリウム

私はうっとりしながら、ほほえむ。
身体が沈んでゆく。

嗚呼、そろそろ、魚になるのだ。
かつて、沼に沈んでみたいと言った少年のように。
しろく、しなやかな魚になって、
此処に戻ってくるのだ。

水蜜桃の薫る、白んだ夜に。

真夜中の走り書き

初夏の檸檬の香りがほのかにするような夜。
黒黒とした空には、無数の硝子細工のようなきらめきが点々と散らばっている。
真夜中、私の甘美な部屋には
細く、うっすらと、たゆたうように
夜想曲が流れている。
机の上の洋灯(ランプ)は、
青や若草色や薄紫、麗々たる色彩のステンドグラスから成る
私が至極美しいと思ういろかたちをしていて、
ステンドグラスからぼんやりとまあるい光がノスタルジックにあたりを照らす。
この光の翳りが、一等私のお気に入りである。
さっきまでは夜想曲を聴き、
冷紅茶を飲みながら、森 茉莉の書いた本を読んでいた。
かつてのロココ様式のように、綺麗に装飾を施されたお気に入りのティーカップに
芳しい香りが広がる。
なみなみと注がれた黄金の水面には、ぼんやりと洋灯の光が反射している。
そのとなりに置かれた、森 茉莉の本。
森 茉莉をはじめ、長野まゆみやフランク・ヴェデキントや吉屋信子など
耽美な、それでいてあやしいきらめきを持った作品を私は夜想曲の供にする。
ロマンティックなピアノの旋律に、
甘美な文章。
そして、やわらかい灯りと真夜中に愉しむ紅茶。
これぞ、私の贅沢なのである。
こうして密やかに夜の時間をとめ、美の世界に身を委ねる。
私はどこかの貴族にでもなったような気分で、
今日も眠りにつくのである。

red


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空が。
真っ赤に燃えている。
煙が白く立ち上り、まるで絹のヴェールのようだ
禍禍しい光景な筈なのに、
わたしのこころは、わたしのこころは、
ああ、乱される。
天に向かい真っ直ぐ伸びた炎は馬の鬣の如く、
煌煌と群青色の空できらめいている。
いつもより強い風のせいか炎は広がる。
真っ赤なルージュを引くように、炎は勢いを増して富士の麓を侵食してゆく。
わたしはここからそれを眺めているだけ。
何もしない。何もできない。
広大な緑を紅に染め上げる、そこに散らばった点々としたルビーを
金魚のような虚空なひとみで見つめるだけなのだ。
誰かのロマンチックな悪夢を見ているようで、
(あら、受け売り。)
恐ろしいような愉しいような、
脆くて悲しい、
極めてサディスティックな願望である。

無題、17の独白

17歳、制服の告白
あたしは認めたくもない。
まあるくて小さくてぱさぱさしてるあたしは
図書室が好きで
初夏の気だるい昼下がり
赤い飴を舐めた
苺味、
甘ったるい
あたしの膝小僧に鳥肌が立って
涙がでた
17歳のきらきらした感情は
きっと言葉に表せられない
恋愛なんて陳腐なものではなくて
もっと深いところでしん、と積もる
あなたと喋るとお腹の底がぽっと温かくなる
この感じがすごく好き
隣で笑っていて欲しいと思う
でもあなたはかすみ草の彼女が好きなのね
2人並んで歩く姿見る度に
あたしのぱさついた白い丸に
群青色の染みが滲む
解っている、けど
唇をきつく噛んで
要らない感情を押し殺した
細長く伸びるあたしの影
決して隣にあなたがいることはない
だって振り向けばほら
あなたとかすみ草が寄り添って歩いているから
小さくなっていく2人の後ろ姿から目が離せない
胸の辺りがひどくひりひりする
太陽は輪郭を残してぎらぎらと沈む
汗ばんだ左手でスカートの裾を握り締めて
ひとりぼっちの自分を惨めだと嘲笑った
今まで自分のことを特別だと思ったことはなかったけど
今日ばかりはあたしは世界一孤独だと思ったの
帰路につこうと前を向いて歩き出す

もう、息もできない


2010.7.10