恋が着せ、愛が脱がせる。

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ふと目に止まった、伊勢丹のキャッチコピー。

はっ、として、思わずマウスをスクロールする指が静かに止まった。

恋が着せる、

恋をしたことのある女の子なら、誰しも経験があるだろう。

「あの人は、どんな服が好きなのかな?」

姿見の前で服をとっかえひっかえ、 ああでもないこうでもないと、クローゼットから洋服を引っ張り出しては1人で夜な夜なファッションショーをする。
床に無造作にワンピースやスカートが散らかり始めたころ、やっと「これだ!」と、とっておきの勝負服が決まる。
散らかった部屋もなんのその、鏡の前でくるんとターンして、にっこり微笑む。

最強にかわいい私。 明日は決戦(デート)だ。

大好きなあの人のために、今まで史上「最高に可愛い私」に武装するための、ひとつの手段なのだ。




愛が脱がせる、


恋をして、いつか女の子は大人になる。

大好きなひとと結ばれるために、いつか服を脱ぐときが来る。

恋が愛となった今、2人を隔てるものは何一つないのだから。

女の子は服を脱ぐことで、愛を知るのだ。



「恋が着せ、愛が脱がせる」。



たった数文字なのに、恋をしたことのある女子ならダイレクトに胸に響くキャッチコピーなのではないだろうか。

好きな人のために、服を着る。 愛しているから、服を脱ぐ。 (ここには、「愛」がなければ脱がないわよ、という強い信念も感じる。)

恋と愛は似て非なるもの。

このキャッチコピーを目にしてから、 初めて彼が私を抱いた夜のことを何度も反芻してしまう。

ワンピースのボタンを襟元から少しずつ外していく彼の手を見つめ、緊張と恥じらいで息もできなかった瞬間。全てを露わにしたとき、彼がやさしく「綺麗だよ」と抱きしめてくれた瞬間。


まさしく恋が、愛に変わった瞬間。